2014-10-28 第187回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第3号
神社新報という新聞の記事でありますけれども、この中で、神道政治連盟首席政策委員の田尾憲男氏がこのように書かれています。「そこで重要となるのが統治権の総攬者としての天皇の地位恢復。つまり、祭り主としての天皇陛下が国家統治者として仁政をおこなふとともに皇室祭祀を継承されることで、表の政治権能と裏のお祭りが一体となって国が治まる。」と。
神社新報という新聞の記事でありますけれども、この中で、神道政治連盟首席政策委員の田尾憲男氏がこのように書かれています。「そこで重要となるのが統治権の総攬者としての天皇の地位恢復。つまり、祭り主としての天皇陛下が国家統治者として仁政をおこなふとともに皇室祭祀を継承されることで、表の政治権能と裏のお祭りが一体となって国が治まる。」と。
○魚住裕一郎君 船戸先生のところの国際協力NGOセンターの中にもいろんなNGOがあると思うんですけれども、今回、政府とNGOの関係ということがかなりクローズアップされたんですが、ここに新聞記事なんですが、馬橋憲男先生の記事といいますかコメントが載っているんですが、政府との関係において、政府とNGOのパートナーシップが確立しているカナダや北欧諸国を見ると、NGOなりNPOなりは社会のために市民の力や創造性
しかも普通の商業新聞でも、この責任は、一緒に行った北崎憲男巡査と訪問を受けた大塚富士男巡査長と、さらに上司に当たる下稲葉警備部長、堤警護課長、同課の係長あるいは宿直責任者等が負わなければならぬと言っているのに、あなた、合志巡査だけが懲戒免職になって、あとの者は何もないのですか。
そういう中で私の実弟を送ったんだという話が先ほどありましたけれども、昭和四十一年の暮には当時九州支店の支店長、川岸工業の専務取締役、こういう立場にあった工藤憲男、社長の実弟ですけれども、この人が突然仙台にあらわれました。それで私たちは何しに来たのかわからない、あるいはどこの人かわからないという中で、具体的に仙台工場に対して執務命令を発するようになりました。
不起訴理由の詳細につきましては、実はすべての事件につきまして内容の詳細を申し上げておりませんので、この点は要点だけにとどめさせていただきたいというふうに思うわけでございますが、不起訴の理由の要点は、結局、仙台工作の容疑事実は、仙台工作の代表取締役であった工藤憲男、それから親会社であるといわれております川岸工業の代表取締役である工藤栄、この両名が共謀して、そして仙台工作のために賃金の未払いをしたのである
○山本(政)委員 この仙台工作株式会社の資本金四百二十万円というのは全額川岸工業というのが出資しておって、仙台工作株式会社の代表取締役である工藤憲男という人は、川岸工業の専務取締役であると聞いております。
五月二十日 辞任 補欠選任 北口 龍徳君 野上 進君 五月二十四日 辞任 補欠選任 和田 鶴一君 長谷川 仁君 野知 浩之君 徳永 正利君 沢田 一精君 森田 タマ君 久保 勘一君 鹿島 俊雄君 青田源太郎君 田中 清一君 石谷 憲男君
委員長 天坊 裕彦君 理 事 石谷 憲男君 西郷吉之助君 竹中 恒夫君 林 虎雄君 委 員 井川 伊平君 小林 武治君 高野 一夫君
松平 勇雄君 最上 英子君 中山 福藏君 三木與吉郎君 村上 義一君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 植木 光教君 鈴木 一司君 沢田 一精君 和田 鶴一君 源田 実君 熊谷太三郎君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
上原 正吉君 松平 勇雄君 最上 英子君 中山 福藏君 三木與吉郎君 村上 義一君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 植木 光教君 沢田 一精君 和田 鶴一君 源田 実君 熊谷太三郎君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
森 八三一君 岡崎 真一君 中山 福藏君 三木與吉郎君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 植木 光教君 鈴木 一弘君 和田 鶴一君 森田 タマ君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
森部 隆輔君 森 八三一君 最上 英子君 中山 福藏君 三木與吉郎君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 植木 光教君 沢田 一精君 中上川アキ君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
鈴木 恭一君 森部 隆輔君 森 八三一君 上原 正吉君 最上 英子君 岡崎 真一君 中山 福藏君 三木與吉郎君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
森部 隆輔君 森 八一三君 上原 正吉君 野本 品吉君 最上 英子君 岡崎 真一君 中山 福藏君 三木與吉郎君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
森部 隆輔君 森 八三一君 上原 正吉君 野本 品吉君 最上 英子君 中山 福藏君 三木與吉郎君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 植木 光教君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
森 八三一君 上原 正吉君 野本 品吉君 最上 英子君 岡崎 真一君 中山 福藏君 三木與吉郎君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 笹森 順造君 植木 光教君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 山崎 斉君 井川 伊平君 石谷 憲男君
委員長 天坊 裕彦君 理 事 石谷 憲男君 西郷吉之助君 竹中 恒夫君 林 虎雄君 委 員 井川 伊平君 中野 文門君 鈴木 壽君
熊谷太三郎君 増原 恵吉君 五月十九日 辞任 補欠選任 野上 進君 北口 龍徳君 田中 清一君 青田源太郎君 長谷川 仁君 和田 鶴一君 鹿島 俊雄君 久保 勘一君 徳永 正利君 野知 浩之君 森田 タマ君 沢田 一精君 増原 恵吉君 石谷 憲男君
委員長 天坊 裕彦君 理 事 石谷 憲男君 西郷吉之助君 竹中 恒夫君 林 虎雄君 委 員 井川 伊平君 大野木秀次郎君 小林 武治君
委員長 天坊 裕彦君 理 事 石谷 憲男君 西郷吉之助君 竹中 恒夫君 林 虎雄君 委 員 植竹 春彦君 中野 文門君 鈴木 壽君
それでは委員長から石谷憲男君を理事に指名いたします。 —————————————
昭和四十年三月三十一日(水曜日) 午後二時二十二分開会 ————————————— 委員の異動 三月三十一日 辞任 補欠選任 石谷 憲男君 日高 広為君 ————————————— 出席者は左のとおり。
石谷憲男君が辞任され、その補欠として日高広為君が選任せられました。 —————————————
昭和四十年三月三十一日(水曜日) 午後零時十五分開会 ————————————— 委員の異動 三月三十一日 辞任 補欠選任 日高 広為君 石谷 憲男君 田上 松衞君 基 政七君 ————————————— 出席者は左のとおり。
本日付、日高広為君が辞任され、石谷憲男君が選任されました。 —————————————
佐藤 尚武君 野田 俊作君 小山邦太郎君 木暮武太夫君 太田 正孝君 笹森 順造君 植木 光教君 鈴木 一司君 沢田 一精君 和田 鶴一君 木村 睦男君 中上川アキ君 森田 タマ君 源田 実君 熊谷太三郎君 久保 勘一君 井川 伊平君 石谷 憲男君
昭和四十年三月三十日(火曜日) 午後一時四十四分開会 ————————————— 委員の異動 三月二十九日 辞任 補欠選任 沢田 一精君 日高 広為君 三月三十日 辞任 補欠選任 日高 広為君 石谷 憲男君 ————————————— 出席者は左のとおり。
また、本日日高広為君が辞任され、その補欠として石谷憲男君が選任されました。 —————————————
昭和四十年三月三十日(火曜日) 午前十一時九分開会 ————————————— 委員の異動 三月二十九日 辞任 補欠選任 日高 広為君 沢田 一精君 三月三十日 辞任 補欠選任 石谷 憲男君 日高 広為君 基 政七君 田上 松衞君 ————————————— 出席者